| 彼女は瞬時に彼の後ろへ回り、ぬいぐるみを脇へ置いて、両手を彼の背に向かって伸ばした! が…… ずるっ 「わたたたたたっ!」 ドパーンッ! 押されるより早く。 彼は体重をつま先にかけすぎて足を滑らせ、温泉の中に突っ込んだ。 ブクブクブク……と泡がたち、あとには呆然と、両手を伸ばして温泉の中を見つめる少女が残った。 「……………………」 言葉が出てこない。顔には、ひきつった笑いしか浮かばない。 何とか気を保ち、彼女は縁へ近づいて、乳白色の温泉の中を覗き込んだ。未だ余韻のように波紋を広げているが、彼が上がってくる気配は無い。今は使われていないとはいえ、一応温泉。普通の大人が座って漬かっても、顔と肩口が出るくらいの深さしかないのだが……。 とすれば、そのまま気を失っているか、勢いがよすぎて底に頭をぶつけたか……どちらにしても、無事だという確証はほぼ無い。 「……ドジだねぇ……」 ぽつ、と彼女は呟いた。 「でもまぁ、手間が省けたと思えばいっかな。いこ」 温泉に背を向け、ぬいぐるみを再び抱え、彼女はそこを去ろうとした…… そのとき! 「ぶはぁ!」 彼女は仰天し、反射的に振り向いた。視線の先……温泉の中から、物凄い形相の少年が上がろうとしていた。 少年は温泉からあがると、荒い呼吸を整えながら、ブラウスの裾を絞った。 「あ……無事……だったんだ」 少女はまだ驚きから抜けきらぬまま、彼に駆け寄った。彼は何か言いたげに顔を上げたが、呼吸がままならず、「ちょっと待って」というように彼女に手で制止するポーズをとりながら、何とか呼吸を整えた。 「……ぜぇっ……ぜぇっ…………」 少女は心の奥底で舌打ちしながらも、表面では心配そうな顔を見せ、話しかけた。 「よく無事でいられたね……」 「…………こーみえてもなっ……水泳は得意だったんだよっ……」 搾り出し、吐き捨てるように応える。 彼の近所には海があり、小さい頃からよく遊びに行っていた。おまけに、彼は幼少時からスイミングスクールにも通っており、水泳、素潜りなんかは得意中の得意だった。 やがて、呼吸が何とか落ち着くと、彼は大きく深呼吸し、彼女にきっと向き直った。少女はその恐ろしい形相に、ビクッとする。 「……よくもまぁ……たばかってくれたよな……」 「な……何のことよ……?」 「とぼけるな!」 さっきまでは、見た目のためか、二十歳といわれても、年下の女の子を扱うような、やや手加減した口ぶりだったが、今は、違う。完全に怒りを持ち、二十歳の女性にそれをぶつけている。 少女は、わずかに震えていた。中身は二十歳なのに、彼の怒りは、二十歳の女性をも恐怖させるほどすさまじいものだった。 「底をくまなく探したけどな。人間の死体らしきものは、なかったよ。 アンタ、何でここに沈められたのかは知らないけど、ここに沈んでいるということは知ってたようだよな。沈められた様子は見てねぇのに、在りかだけは知っていた、と解釈していいよな? 説明してもらおうか?」 少女は口をかたく閉ざし、話そうとはしない。 少年は、そんな少女をじっと見つめている。睨んでいる、といった方が正しいか。 やがて、少女はくるっと背を向け、歩き出した。 「おい!」 呼び止める彼に、少女は、少女の顔とは思えないような、真剣な眼差しをむけた。 「来て。ここじゃ、落ち着いて話せないでしょ」 連れてこられたのは、脱衣場のような場所だった。 |
第三話へ続く